姓 名:DOPING PANDA
英文名: DOPING PANDA
國(guó) 家:日本

9548
粉絲
138
歌曲
56
專(zhuān)輯
56
評(píng)論

YUTAKA FURUKAWA(ボーカル、ギター、プログラミング)
1978年2月28日生まれ。山口県出身。A型。電気通信大學(xué)卒業(yè)。作詞・作曲は「古川裕」と表記。眼鏡がトレードマーク。自稱(chēng)・愛(ài)稱(chēng)ともに「ロックスター」、または「スター」。演奏は勿論だが獨(dú)特のMCにも定評(píng)がある。ハンドマイクはMC専用という訳では無(wú)いらしい。雑誌などのメディアからのインタビューからも個(gè)性的でユーモラスな言動(dòng)が見(jiàn)られるが半分ジョークで「俺はそこらのギタリストより上手いからね」などと言った自信に満ちた発言(ビッグマウス的言動(dòng))が時(shí)折揶揄されることもある。ギターソロではタッピング奏法(ライトハンド奏法)も用いる等、ハードロックの影響も強(qiáng)く受けている。ライブでは一貫してフェンダー・テレキャスターを使用しているが、PVでは他のギターも使用している。CrazyのPVではFenderの12弦ギターを使用している。
TARO HOUJOU(ベース、コーラス)
本名は北條太朗。1976年9月18日生まれ。神奈川県川崎市出身。B型。電気通信大學(xué)卒業(yè)。愛(ài)稱(chēng)は「タロテ!。目印はベースボールキャップ。物販紹介擔(dān)當(dāng)。使用機(jī)材はミュージックマン・スティングレイ等。PVで見(jiàn)られるピックアップが特徴的なベースはアトランシア製で、舊友からの長(zhǎng)期レンタル品だとのこと。2007年9月28日より、自身のブログ「t-log」を開(kāi)始。
HAYATO(ドラムス、コーラス)
1978年4月24日生まれ。茨城県古河市(舊猿島郡・さしま)出身。AB型。愛(ài)稱(chēng)は「ハヤト」。物販デザインにも攜わっている。
妻はモデルの小谷美裕。(2009年4月入籍)
小簡(jiǎn)介
結(jié)成當(dāng)時(shí)のバンド名は「PSYCHEDELIC GORILLA」という名前で、4人編成でHOUJOUがバンドマスターを務(wù)めていた。しかし、”サイケ”ではないことから、メンバーチェンジと共に現(xiàn)在のバンド名に変更。それについて後にHAYATOがRooftopのインタビューで「ドーピングでもないけどね(笑)。」と発言している。
DOPING PANDAのファンは「ドーパメイニア」および「メイニア」と呼ばれており、ツアーで回る各地方では地名を頭につけて「○○(地名)メイニア」と呼稱(chēng)することがある。
アルバム『PINK PaNK』に収められている「Transient Happiness」はライブで最も盛り上がる楽曲の一つであり、その理由として間奏でFURUKAWAが足技(通稱(chēng)パカパカ、ハポネスステップとも)を披露することが挙げられる。この様子は1st DVD「LIVE-ISM」で確認(rèn)することができる。また、この曲は最近のライブでは曲の終盤(pán)辺りでFURUKAWAが両手タッピングをするのもこの曲が最も盛り上がる要因でもある。
2002年にはthe band apartとの共同ライブイベント、『mellow fellow』が行われ、共作「SEE YOU」を限定リリースした。
2005年のMONSTER buSHでステージから飛び降りたFURUKAWAは動(dòng)けなくなり、擔(dān)架で搬送された。そのことをMC等で現(xiàn)在もしばしばネタにしている。
沢尻エリカが日経エンターテイメントのインタビューで、よく聞く音楽として名前を挙げている。
FURUKAWAは2007年にm-floのライブ、『COSMICOLOR』の橫浜アリーナでのファイナルに參加、VERBALと「she loves the cream」で共演した。またこのライブのカーテンコールで、FURUKAWAはBoAと隣り合わせになる。その後FURUKAWAは「LOSE YOUR MIND feat.Yutaka Furukawa from DOPING PANDA」のPV撮影で再びBoAと會(huì)うのだが、「初めまして」と挨拶したBoAに手を繋いだことがあると答えたところ、いぶかしがられてしまったとのこと。(BEAT ON THE RADIOより)
FURUKAWAは親交のあるART-SCHOOLの楽曲「ILLMATIC BABY」をプロデュースしている。
大事件
1997年結(jié)成。ギターロックにディスコビート、デジタルサウンドを融合した楽曲でインディーズ時(shí)代から注目を浴び、ディズニーのカヴァーコンピレーションアルバム『DIVE INTO DISNEY』への參加で広くその名を知られるようになった。
2004年にリリースされたアルバム『We in Music』もインディーズチャートで好セールスを記録し、翌2005年に『High Fidelity』でメジャーデビュー。
2006年8月4〜6日に開(kāi)催されたROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006では、セカンドステージであるLAKE STAGEにおいて、期間中最多の1萬(wàn)人超を記録した。
2007年1月24日にシングル『Can't Stop Me』を発売。オリコンシングルチャートは、41位にランクインした。 6月15日にはミュージックステーションに初出演し、「I'll be there」を披露した。
2008年3月12日にリリースしたアルバム『Dopamaniacs』はオリコンアルバムチャート、18位にランクインした。

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