1960年代のアメリカンポップス・ロックに影響を受けた良質(zhì)な楽曲を制作し続けるミュージシャン。日本におけるアカペラ・ドゥーワップのオーソリティの一人。聲によるハーモニーを重視しており、自分自身のヴォーカルを多重録音する“1人アカペラ”という手法を取っていることでも知られている。音作りに対して非常に厳格で、獨(dú)自の製作姿勢(shì)から「職人」とも稱される。レコーディングの際には、基本的にボーカル・バックコーラスはもちろん、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで全て1人で手がけており、曲によっては全部1人で演奏していることもある(これは竹內(nèi)まりやの作品でも同様である)。本人は雑誌などで謙遜しているが、ギタープレイ、特に獨(dú)特なタイム感のカッティングは本職のギタリストからも認(rèn)められている腕前である。ただし、こうしたこだわりから作品制作期間が數(shù)年単位になりがちな上、自作と交互に竹內(nèi)の作品をプロデュースする関係から、各作品間のタイムスパンが非常に長(zhǎng)い。 また、ライブにもこだわりが強(qiáng)く、ホールクラスまでの會(huì)場(chǎng)でしか使用しないことでも知られる。これは日本武道館のような大會(huì)場(chǎng)の音響効果に疑問を持っていることと、末席からオペラグラスで見るような狀態(tài)になるのは観客に失禮と公言していることによる。 代表曲は『DOWN TOWN』『RIDE ON TIME』『クリスマス・イブ』を始め多數(shù)。他のアーティストへの曲の提供に関しても、KinKi Kidsのデビューシングル『硝子の少年』などヒット曲を出している。また、シュガーベイブ時(shí)代のプロデューサーであった大瀧詠一のナイアガラ・レーベル初期の作品にコーラスアレンジ及びストリングスアレンジで參加しており、特に「NIAGARA CALENDAR '78」で深く関わっている。 シュガーベイブ時(shí)代のプロデューサーで今も交流が続いている大滝詠一同様、ポップスマニアであり、マイナーな歌でも詳しい。 1980年代後半當(dāng)時(shí)、プラモデルも熱心な趣味の一つであった。中でも第二次世界大戦時(shí)の爆撃機(jī)のプラモデルを集中的に作っていたという。また、落語好きでもある。 小簡(jiǎn)介 山下 達(dá)郎(やました たつろう、1953年2月4日 - )は、日本の男性シンガーソングライター・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。 東京都立竹早高等學(xué)校卒業(yè)、明治大學(xué)法學(xué)部中退。スマイルカンパニー所屬。妻はシンガーソングライターの竹內(nèi)まりやで、彼女のアレンジャー・プロデューサーでもある。
日期:2010-6-2