吉良 知彥 - ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード etc.
舊メンバー
上野 洋子 - ヴォーカル、ピアノ、キーボード、プログラミング etc.
1993年まで在籍。
松田 克志 - ドラムス、パーカッション etc.
1963年生、北海道帯広市出身。1987年まで在籍。ZABADAK在籍時は作詞も擔當,F(xiàn)在は巖手県を拠點にプログレッシブ・ロック・バンド「Otaria's Bloc(k)(オタリアズ・ブロック)」などで活動。
小簡介
「のれん分け」までのZABADAKは吉良と上野がインスピレーションを受けたというケイト・ブッシュのフォロワー的な世界から出発し、レコーディングで訪れたアイルランドでの體験から、民族音楽(主としてケルト音楽)の要素を強め、獨自の音楽を作り上げていった。「のれん分け」後、上野はさらに民族音楽的な要素を強める一方で、クラシック音楽的要素 (現(xiàn)代音楽的要素や古楽的要素も含めて) も打ち出していき、個性的な音楽を構築していくことになる。
一方吉良のソロユニットとなったZABADAKは、迷走の時期を経て、もともと吉良のバックボーンであるプログレッシブ・ロック的要素やギタリストとしてのロックな要素を強め、それらを基盤としつつも民族音楽的要素も混じったメロディアスで敘情的な獨特の世界を創(chuàng)造していく。
曲は歌のないインスト曲も多い。また、「遠い旅の記憶」など10分を超える長大な曲もある。
大事件
1985年、いわゆる「ハコバン」(ライブハウス付きのバンド)で活動していた吉良がケイト・ブッシュの 「DREAMING」にインスピレーションを受けてデモテープを制作[2]。舊知の上野洋子らとともに結成。1986年にアルバム・デビュー。
バンドとしての活動のかたわら、デビュー當初より多數(shù)のCM曲や映畫音楽などを手掛け、一部はオリジナル作品としてア ルバムに収録されている。
1987年に松田克志が脫退。松田在籍時のアルバムは『ZABADAK-I』 『銀の三角』および、この2枚を後に再編集した『WATER GARDEN』のみである。3枚目のオリジナルアルバム『Welcome to Zabadak』発売後の1989年にレコード會社を移籍した。
この時期は、上野洋子の透明感ある歌聲を前面に出し、吉良知彥の様々な要素を含んだ秀麗かつメロディアスな楽曲で人気を博した。
1993年の「のれん分け」(後述)前に発売されたアルバム『桜』のレコーディング時には意見の衝突の連続であったという。同年にはベスト・アルバム『decade』も発売される。タイトルにふさわしく10年間の活動の総まとめのアルバムである。
1993年9月25日の日比谷野外音楽堂でのコンサートをもって「のれん分け」(上野洋子の脫退をこう表現(xiàn)した )を行い、吉良知彥のソロユニット(ワンマンバンド)となる。暫く音楽的には「迷走」と評される時期が続くことになる(セールス的にも落ち込む。特にポリスター時代はそれが顕著)!篖IFE』 『SOMETHING IN THE AIR』 『はちみつ白書』などの時期である。
そんな中で、biosphere recordsとポリスターから作品を発表する傍ら、演劇集団キャラメルボックスの音楽も擔當。獨特の世界観が演劇と合い、幅を広げて行った。ZABADAKの持ち味とキャラメルボックスの感覚が、相乗効果を高めた。
2000年に発表した『IKON』は、初期ZABADAKのテイストの橫溢(おういつ)する作品として復活を印象づけた。2001年に獨立、新事務所Penelope、新レーベルGargoyleを設立する。
2006年に至って一層プログレ色が高まりつつ、新しい音楽を模索している一方、ファンタジー色を殘す作品もある。
2009年に発表したアルバム『平行世界』には、松田が作詞を行った曲「樹海 -umi-」が収録されている。
その他、吉良はPSゲーム『クロノ・クロス』(1999年) でギター・ブズーキの演奏を擔當したり、NHK『おかあさんといっしょ』に楽曲を提供するなどしている。上野もアニメの音楽やソロユニットで活発に活動している。今もマスメディアには出てこないが、多方面に活躍しているアーティストである。サポートで參加したミュージシャンも數(shù)多い。